人が会話の中で5年後、10年後の話をしていると疑問をもつことがあります。
私は5年どころか、1年後でさえ生きている自信がないのに、私以外の人たちは来年も再来年も生きている前提で話をしているのが、とても不思議で疑問です。
おそらくそれは、私が変わっているからだと言われると思うのだが。
そして、こういうことを口に出すことでより一層私への変人という見方が強まることも知っている。
それでも分からないこと、理解できないことを表に出さずにいることができない私はきっと、これからもずっと、孤立し続けることも知っている。
もしもこれが発達障害だというのであれば、それはそれでいいとも思っている。
分からないことを分かったような顔で理解できないことを理解できているような顔でいることの方がずっとずっと生きづらさを感じるからだ。